近頃は残暑が長引く。
お彼岸が過ぎてもまだ暑さにうんざりさせられることもしばしば。
おととしくらいだったか、九月の暑い日、タクシーで運転手さんと残暑の厳しさをぼやき合った。
「いやあ、十月になってもまだ暑いんじゃないですか?」
と運転手さんが言うのでおどろいて、
そりゃないよ、もう勘弁してほしい、と真剣に思った。
たしかに十月になってもけっこう暑い日があったので、
運転手さんの言葉はかなりいい線行っていたということだ。
とはいえ、九月の終わりから十月にかけて、この香りに触れると
「ああ、もう夏にさよならだな」と思う。
金木犀だ。
モクセイ科の常緑小高木で、ギンモクセイの変種。
甘やかで妖艶な花の香りは格別だ。
それに比べて木の姿は地味なので、花が咲いて初めて
「ああ、ここに金木犀が植わってたんだ」と気づく。
この花が咲いたらもう夏には戻れない。
今年の夏はもうあきらめよう。
始まり、そして深まりゆく秋に身をまかせるのだ。
そんな思いにさせてくれるほど強力で、抗い難い魅力的な香り。
以前、都心に住んでいたころ、隣の建物がなにかの役所の宿泊施設だった。
かなり古い建物だったが、敷地を取り囲むようにずらりと植えられていたのが金木犀。
七階のわたしの仕事部屋はその敷地に向かって窓が開いており、
机もその窓の方を向いて置いてあった。
さすがに隣に植えられた金木犀のことは忘れないから、
毎年花の時季になるのを楽しみにしていた。
満開の数日間は、あまりの香りの強さに酔っぱらいそうなくらいだった。
時間によっても香りの強弱があり、あまりに強烈になってくると、
逃げるように机から離れ、別の部屋で仕事をしたくらいだった。
だからといってそれがいやではなく、
「まったくもう」など言いながらも花の香り攻撃によろこんでいたのだと思う。
そこに住み始めて十数年目のこと。
その役所の施設が取り壊され、並んで植わっていた金木犀もすべてなくなった。
更地になった隣の敷地を自室のベランダから見下ろすと、
木が植わっていた部分は土が濃い茶色だった。
もう花の時季になっても、香りに攻め込まれて仕事道具を持って右往左往することもない。
それから何年後かにわたしもその場所から離れた。
いまでは違う町の金木犀の香りに触れている。
ふと漂ってくる香りに秋を感じ、
かつて隣にずらりと並んで生えていたあの金木犀を思い出す。
絵・文 : 平野恵理子
1961年、静岡県生まれ、横浜育ち。イラストレーター、エッセイスト。
山歩きや旅、暮らしについてのイラストとエッセイの作品を多数発表。