香りを楽しむ「お香」の存在をはっきりと意識したのは、高校生のとき。
大学生になった兄が京都へ旅行へ行き、そこでインドのお香を買ってきた。
京都なのだから日本のお香もあるだろうと思うが、そこはやはりその時代の若者。
ヒッピー文化の一番最後にギリギリ引っかかった世代の兄らしい。
そのお香は指先につまめるほどの大きさの円錐形で、火をつけるとモウモウと煙が出る。
香りも強烈とまではいかないまでも、ずいぶん濃厚だ。
その煙が漂っているなかでは、まともにものも考えられない気がした。
あれもカルチャーショックのひとつだったのだろうか。
それを機に、お香というものに興味を持った。
インドのお香はもちろん、日本のお香にも触れるようになって、おずおずとお香のお店などへ行き、
一種類、またもう一種類と香りを楽しむようになった。
お店においてある、気になる道具もまた少しずつ。
香炉に香炉灰、炭団や銀葉。
お香の道具や包みはどれも典雅で、日頃慌ただしく過ごしている身には別世界からのものに思えた。
そしてその香りときたら。
インドのあの、人心を惑わすような強い香りとは違う、心持ちが芯から落ち着いてくる奥深いものだった。
三十代までは、気ままにお香に親しんでいた。
が、四十代で父を、五十代で母を亡くすと、今度は毎日お線香を使うようになった。
それまで家に仏壇はなく、いい大人になって仏壇がなんなのかさえよくわかっていなかった。
それが一変。
毎日供えるお水にお茶にお花、そしてお灯明にお線香。
仏壇とは、こういうものだったのか。
母が亡くなってからは、香炉やお鈴など、自分でもう一度揃え直した。
麦わら手の、小さな香炉や香立てなどのひと揃いだ。
お水を入れる器など、おちょこのように小さい。
が、これが気に入っている。
小さい香炉なので、使うのは短いお線香。
小さい香炉がもう一つ。
こちらは父が亡くなってからしばらく使っていたもの。
仏壇は母の家にあったので、一人暮らしの自分の部屋にも父の写真を飾って、毎朝夕お線香だけあげていた。
京都へ行った時、錦小路の脇にある小さな焼き物屋さんで買ったものだ。
揃いの水入れが、これまた小さなおちょこサイズ。
考えてみれば、麦わら手の香炉ひと揃えも清水焼で、京都のものだ。
おっと、あのインドのお香も京都から来たものだったな。
絵・文 : 平野恵理子
1961年、静岡県生まれ、横浜育ち。イラストレーター、エッセイスト。
山歩きや旅、暮らしについてのイラストとエッセイの作品を多数発表。