雪の結晶を初めて見たのは、小学二年生の時だったと記憶する。
冬の日の午後、家にいると雪が降ってきたのがわかった。
うれしくなって、急いでベランダに出たら。
雪を受けようとベランダの柵から手を外へ差し出すと、セーターの袖に落ちた雪が、美しく形のととのった結晶だった。
雪の結晶なんて、本の中のことかと思っていたら、いま自分の袖の上に次々に落ちてくる雪がその形を結んでいる。
興奮した。
みんなそれぞれ微妙に違う六角形をしている。
それぞれの結晶にはちょっと厚みがあって、それも意外だった。純白の色が目を射るようだ。
ふだんそんな大変な出来事があったらすぐに兄か母を呼んだのに、ずっと一人で見ていたということは、一人で留守番をしていたのだろうか。
それとも、あまりに驚いて彼らを呼ぶことも忘れて夢中で雪を見ていたのか。
当時住んでいた横浜は、そんなにしょっちゅう雪の降る場所ではない。
年にもよるけれど、ひと冬に二、三度降るくらいだろうか。
積もったとしても数センチ程度、十センチも積もれば交通麻痺だ。
そのくらいに珍しい雪なので、雪が降るのはいつだって大ニュースだった。
しかもその日は結晶を目撃してしまった。
今でもそのとき目にした結晶の様子はよく覚えている。
翌日起きると外は真っ白だった。
横浜にしてはかなりの積雪だ。
場所によっては私の腰くらいまで吹き溜っているところもあった。
積もっている雪は、すべてが結晶なのかと思ったけれど、そうではなかった。
とはいえ、その積もった雪があまりに真っ白できれいだったのだ。
顔を近づけると、水というか、氷の、雪の匂いがする。
思わず手袋をはめた手ですくって口に入れた小学二年生。
白い雪は、清らかで透明な、かき氷のような味がすると思ったが。
街場に降る雪のこと、そう甘くはない。
味はなにもせずに、ただ埃の匂いがしてすぐに口から吐き出した。
少しだけ裏切られた気持ちだった。
あれからほぼ半世紀。
いまだに雪が降るとワクワクするのは変わらない。
ただ、なかなか結晶になった雪にはお目にかかれない。
もちろん、口にも入れはしない。
絵・文 : 平野恵理子
1961年、静岡県生まれ、横浜育ち。イラストレーター、エッセイスト。
山歩きや旅、暮らしについてのイラストとエッセイの作品を多数発表。