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株式会社 大香

Essay 02 銀座の香りの正体:田辺 夕子

田辺夕子 Yuko Tanabe

『銀座百点』編集長

 銀座のタウン誌『銀座百点』の編集スタッフとして、発行元である銀座百店会に入社したのは
もう十数年前のことになる。
おもな仕事は、銀座の店々を取材し原稿として仕上げること、
作家や著名人への寄稿依頼、座談会へ参加してもらい、記事に構成すること。
時が経ち、肩書に「長」がくっついても、業務の内容はまったく変わりなく、
毎日、銀座のあちこちでネタを探して拾っては、毎月百ページ前後の小さな冊子をつくりあげている。

 さて、銀座百点の編集スタッフは、取材対象や寄稿者へ依頼状を送る際、
いっぷう変わった媒体であるためか、冊子の概略を書くしきたりがある。
代々の編集者から受け継いだフォーマットには、多少の表現やニュアンスは変わるけれど、だいたい次の三つの要素が含まれている。
「日本でもっとも歴史の古いタウン誌として六十余年」
「銀座の専門店百数十軒からなる銀座百店会が発行」
 そして最後に、
「銀座の香りを届ける冊子」
いきなり、つかみどころがなくなる。
「銀座の香り」ってなんなのか。だいたい、街に香りはあるのか。
じつは以前、この表現に違和感を覚えたわたしは「銀座の文化を届ける冊子」という表現に直したこともあったけれど、
それもまたしっくりとせず、まあいいやと深く考えずに常套句として「銀座の香り」を使ってきた。
そのバチが当たって、今回この原稿を書く羽目になったのかもしれない。


 仕事柄、平日の八時間はこの街で過ごしている計算になる。
となると、不遜ではあるが、もはや自分の家にいるような錯覚におちいるのも仕方あるまい。
自分の家特有の香りは、いったん外に出て帰ってこないと気づかないもの。
まずは、ほかの土地の人の発言から、「銀座の香り」を探ってみることにする。

 数年前、「日本の香り」をテーマにした座談会を企画したことがある。
香を扱う老舗の社長さん三人が参加してくれた。
二人は銀座、一人は京都の店の人だった。
 座談会当日、朝一番の新幹線に乗って銀座の会場まで来てくれた京都の社長さんは、
「海のにおいを感じますなあ」と、やわらかな上方のことばでつぶやいた。
 なるほど、銀座は海のすぐそばだ。
江戸幕府の将軍の船着き場があり、浜遊びをしたという浜離宮だって、所在地は「中央区銀座」なのである。
だから春先に南風が吹くと、潮のにおいを感じたりもする。
 でも、銀座に海の香りというイメージを持つ人はあまりいないだろう。
街と同じく、海も東京湾として整備され、近代的な風景になっていることも大きな要因だ。
明治5年以降、近代都市として整備された銀座の街は、自然に恵まれず、植物や花々とも縁遠い。
年々整備される都市には、自然や生活の香りの入り込む隙間はないのかもしれない。


 そうなると、「銀座の香り」とは、数多い店それぞれにある香りを指しているのだろうか。
 開店と同時にいっせいに並ぶ「銀座木村家」の焼きたての酒種あんぱん、
「銀座らん月」でいただくあつあつの和牛のすき焼き、
ふたを開けたとたん至福を感じる「鳥ぎん」の釜めし、
「トリコロール本店」の、ぴかぴかに磨かれた銀のポットから注がれるアンティークブレンドコーヒー。
そして、巨大なデパ地下には、和洋東西ありとあらゆるお惣菜が、食欲をそそる香りを発している。

 食べもの以外だって、銀座にしかない香りはたくさんある。
 ダレス・バッグを筆頭に上質ななめし革の鞄がずらっと並んでいる「銀座タニザワ」、
まっさらな香りの紙のノートが並ぶ「銀座・伊東屋」、
「SHISEIDO THE STORE」でしか買えないセルジュ・ルタンスの香水、
理容の「米倉」で顔そり(女性も受けられるのです)をするときのシェービング・クリームの香り……
枚挙に暇がない、なさすぎる。
いい香りにしても、その逆にしても、「銀座の香り」を決めることは、やっぱり不可能なのだろう。
(数年前に華々しくオープンしたアパレルショップが、開店後の一時期、
プロモーションとして自社の香水を銀座通りに漂わせ話題になった。
わたしは前を通るたびにアメリカの巨大ショッピングモールを歩いているような気持ちになったから、
人によってはある特定の香りが銀座という場所を想起させるということはありうるけれど)


 そんなことを考えながら、和光の時計塔が三時を回ったころ、取材先へ向かう。
 銀座通りは1980年代、路面店は銀行の支店ばかりで、窓口業務が終了するこの時間になると、シャッター通りと化していたという。
1990年代後半から2000年代にかけては海外ブランドが続々と進出し、
以降、ファストファッション、インバウンド向け免税店というふうに、その時代でもっとも勢いがある業態の店が進出してきた。
そういう意味では、銀座を訪れる海外観光客も同様なのだろう。
二、三年前はアジア系の観光客がほとんどだったが、今は頭をヒジャブで覆ったインドネシアとおぼしき観光客が多い。
 2020年の東京オリンピックへ進む中でまた変化は加速し、去る店と入れ替わりに新しい店が連なり、
なじんでいくことで不思議と銀座らしい風景が保たれる。
けっして保守的な街ではなく、つねに変化を受け入れることで歴史を更新するのが銀座なのだ。


 変化の象徴である「GINZA SIX」の手前、海外ブランドショップとインバウンド向け免税店にはさまれ、
純和風の日本料理店が健在なのは、まさに銀座らしい風景だ。
「準備中」の札をおろしたその軒先で、覚えのある白檀の香りがした。
香りの座談会に参加してくれた、京都のお店の香であることはすぐにわかった。
この時間帯は飲食店にとって、昼食と夕食の合間の休憩時間に当たる。
婦人客で席が埋まるにぎやかなランチタイムから、ゆっくりと酒肴を楽しむ夜の時間への準備として、香を焚いているのだろうか。


 この日の取材先はみゆき通りを入ったところにあるバーだった。
 銀座にしては若いバーテンダーがひとりで営む、カウンター数席だけの小さな店である。
約束の時間、開店前の三時半きっかりに到着する。地下の店へと続く階段をおりていくにつれ、和の香りに包まれる。
偶然にも、さきほどの日本料理の店と同じ香りだ。
 扉を開けると、バーテンダーはエプロン姿で椅子をカウンターに上げ、すみずみまでていねいに掃除をしている。
開け放した洗面所のドアの奥から、炉が芳香を放っていた。
取材を終え、彼も店も身だしなみを整え、一番乗りの客がやってくるころには気づくか気づかないか、
というくらいのほのかな残り香になっているだろう。


 もてなしというにはおおげさな、さりげない歓待―銀座のどの店々にもその心はあり、香を焚く以外にも、それぞれの表しようがある。
 もしかしたら、それこそが「銀座の香り」という言葉の正体なのかもしれない。

文 : 田辺夕子(たなべ・ゆうこ)/ 編集者
1955年に“ 銀座の香りを届ける雑誌” として創刊した、日本で最も古いタウン誌『銀座百点』編集長。